文章を書きたいから

いわゆるクソ大学生です

儚さ

やはり今日の1番のニュースは小林麻央さんが亡くなったことだろう。本当に悲しくなったし、家族でも関係者でもないのに泣きそうになった。(泣かなかったのは学校だったから…)

 

麻央さんはとても強くて輝きのある女性である。気が向いた時にブログを読んでいた程度だが、闘病の暗さをなかなか見せない明るい内容だったり、前向きな文章を読んで、元気になってほしいと読むたびに切望していた。

歌舞伎が少し好きなのと、麗禾ちゃんと勸玄くんとパパである海老蔵さんの仲の良さに惹かれて、市川海老蔵さんのInstagramをフォローしている。

麻央さんのことを綴っているのを見ると、それもまた元気になってほしいと思っていた。

海老蔵さんのためにも、麻耶さんのためにも、2人のお子さんのためにも、応援している日本中、世界中のためにも、本当に元気になってほしかった。現実にはこれはもう叶わない。

 

あんなに素敵な人を失った日本はまた一つ輝きを失ったといっても過言ではない気がする。

たぶん時間が経つと彼女の話は消えかけてしまうのだろう。でも私は、亡くなったというニュースを見た時一生忘れないのではないかと思うような衝撃が走った。

海老蔵さん夫婦は本当に素敵な夫婦である。見える部分だけでも素敵なのに、隠れた部分にもたくさん素敵なことはあったんだと思う。

現に最期の言葉で「愛してる」と伝えるという、これ以上の言葉がないような終わりを迎えている。後悔の言葉でもなく、苦しさでもなく、愛を伝えるなんて、34歳の若さで亡くなるというのにそんなことできるだろうか。私の今の生活のままだとあれもやりたかった、これもやりたかった、ということばかり浮かんできそうだ。

 

命とは儚いものである。

充実した暮らしができるように、いつ死んでもなるべく後悔のないように努めたい。

 

小林麻央さん、日本に世界に元気を与えてくれてありがとうございました。本当に素敵な女性です。2人のお子さんと、ご家族を空の上から見守ってください。ご冥福をお祈りします。

 

魔法の使い道

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

 

もしも魔法が使えたら自分を変えたい。

美人になりたい、スタイルが良くなりたい、頭が良くなりたい、お金持ちになりたい、男女問わずに人気者になりたい…

キリがない。本当にキリがない。

 

「才色兼備」という言葉に強く憧れている。この言葉を初めて知った中学生のときから美人になりたいとかよりも「才色兼備な女性に将来的になれたらいいなぁ」と思っていた。

将来的にって、いつだ?

彼女、すなわち中学生のときの私の将来っていうのはもはや今なのではないか。彼女が考えた終着点はどこだったのだろう?今となっては彼女に才色兼備な女性になる締め切りはいつかを聞いてみたいものである。

 

やっぱり魔法が使えたら、時空を超えて過去の自分にアドバイスをしてあげて、将来の自分から少しばかりアドバイスをもらいたい。

この先を全て知りたいわけじゃないから、もらうアドバイスは少しでいい。してあげたいアドバイスは数え切れないほどにあるけれど。

時間の流れに乗り切れないまま過ごしていくのはもうごめんだ。でも魔法は使えないから自分で考えるしかない。

この時間というものは、ついていけない者は置いていく、冷徹な流れなのだ。

車窓から

毎日電車に乗って通学している。私は大学生だ。行きはいつも満員電車、帰りも時間によっては帰宅ラッシュと重なり満員だ。

電車の中では本を読むか、現代っ子ゆえケータイを見るか、ただひたすらボーッとしているか、妄想を膨らませているかである。

大学生活がどうも上手くいかない。楽しくないし、楽しもうという気持ちも微塵もない。受験に失敗して思い通りの大学ではないというのが大きな原因であろう。自分の適応能力の低さを笑ってしまいたくなるほど周りとウマが合わないし、合わせたいという気持ちもない。

この大学はなんなのだ、大学とはなんなのだ、という多少苛立ちに似た感情がふつふつと湧いてくる。

思い描いていた大学生活とかけ離れすぎている。こんなにも違うととんだ夢を見ていたのかもしれない。

こんな田舎で留まっていたくはなかった。東京の輝きのあるような場所で自分を一からスタートさせるつもりだったのに…と思ってはノイローゼ気味になってきて、ここ最近は体調不良だ。

満員電車に乗ると、東京に行った時に乗った酸欠になりそうな満員電車が脳裏に浮かぶ。ここはこんなもんかよと思ってしまう自分と、これが自分に合っているという自分がいる。

サラリーマンに囲まれて窓の外なんて何も見えやしない。そしていつも思うのだ。

ここを飛び出して遠くに、荒野に行きたいと。